私の好きな話

私の好きな話


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■ニクソンとサンダース



二つの話をしよう。


一つは未来の大統領の話で、もう一つはプロのゴルファーの話である。


パリで二度も偶然にリチャード・ニクソンと顔を合わせたとき、彼は二度ともちょっと気のきいたことを言った。しかし、今でも覚えているが、二度とも彼は、まるで人形にでも話しかけるかのような調子で同じ5つか6つの文句を口にしたのである。


どこかで出会いそうな人たちの職業やタイプに合わせて、まるで彼は、何種類かの文句を用意していたようにさえ思えた。


もう一つはあの華麗なるゴルファー、ダグ・サンダースの話である。


彼のマネージメントを始めた頃、私は多くの人たちに随分いろいろなことを言われた。


たとえば、“あんたは間違った。あの男は賭博が大好きなんだ。身のほど知らずのかけにも平気で手を出す。たちの悪い連中とも付き合いがあるらしい、云々”


ある人なぞは、とかく噂の多いダグをどうして信用するのか、と聞いたほどである。


しかし、ダグの噂をしたり悪口を言ったりする人たちよりは、わたしは彼を信用していた。


あるときダグは、カナダでゴルフのエギジビションマッチをやった。このとき、彼は何から何まで彼一人でアレンジした。そして、支払いも現金で受け取ったので、彼が何も言ってこなければ、私は何も知らなかったはずである。


ところが、1週間後、ダグから1通の封筒が送られてきた。この中には手紙どころかメモさえ入っていなかった。しかし、私の会社へのコミッションが現金で封入されていた。


この二人の話をなぜ私はするのだろうか。


人の心を読む重要なカギがどちらにも隠されているからである。


人が無意識に行動するときは、その人の人格が行動の中から透けて見える。


ニクソン氏と会ったとき私は、彼の行動とまったく同じセリフの繰り返しに、世の中のある種のまやかしを見た。不誠実さといっていいかもしれない。


彼が十年後大統領をやめざるをえなくなったとき、私はパリで見た彼の姿と顔をはっきりと思いだした。


ニクソン氏の問題点はウォーターゲートもさりながら、多くは彼のインチキに起因しているのである。人はインチキを信用しない。いかさまも嫌いである。うそつきの大統領はもっと嫌いだ。


ダグ・サンダースの場合は、あのエキジビションからの収入は、コミッションなど気にするほどの額ではなかった。


しかし、今でも私は、ホテルルームへ戻って、ポケットから札束をつかみ出し、コミッションを数えて封筒に入れて、わが社のアドレスを書いている彼の姿を思い浮かべることができる。それ以外の何かをしようなどと、彼には思いもよらないのだ。


ダグは性格通りのことをやっただけなのである。正直な性格を示したのは大統領で、ペテン師だったのはゴルフ野郎だと思いたいところなのだが、エピソードにみられる事実は、全く逆だったのである。


この二つの話はビジネスにどう関係があるのか。


全部である。


ビジネス社会では、状況に合わせて、会社の顔をつくることは容易である。部下とはこういう方法で、上役とはまた違った方法で、社外の人たちとはまったく違ったふうにと、使い分けている人たちがいる。


しかし、まわりの状況に合わせるために真の人格まで変えてしまうことは不可能である。また、どんな毎日のビジネスでも、意識するしないにかかわらず、人はいずれ、相手の本性には気づくものである。


何よりも、人が伝えようとしていることより、実際に何をいわんとしているかを聞き取るのが肝要である。


他人の行動、特にビジネス活動を判断しようとする時、もっと広い範囲の彼の全人格の一部として捉えることができたら理想的だ



私がものを買う立場にあろうが、うる立場にあろうが、人を雇ったり、雇われたり、契約を交渉したり、


誰かの要求に応えるにしても、私はそのビジネスの相手のバックグラウンドを知りたいと思う



彼の真の全人格が知りたいのである

・・・ビジネスはどんな場合でも、最後は“人”の問題に帰結する。



マコーマックのマンビジネス ハーバードでは教えてくれない経営177則より


http://tinyurl.com/kb8z8x3



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■「サーカス」



私がまだ十代の頃の事です.

サーカスの入場券を買うために、父と私は長い列に並んで順番を待っていました.

ようやく、私達の前にいるのはあと一家族だけとなりました.


私はその家族に強く心を引かれました.とても印象的だったのです.

その家族には子供が8人もいて、一番上で12歳くらいにしか見えません.


あまり裕福そうではなく、着ている服も上等とは言えませんが、

きれいに洗濯されています

そして、行儀良く手をつないで、両親の後ろにきちんと2列に並んでいました.


期待に胸をはずませた子供達は、ピエロの事、象のこと、そして

今から見るいろいろな演技のことをうれしそうに話していました.


どうやら、サーカスをみるのはこれが初めてのようです.

子供達にとって、今日のサーカスは生涯残る素晴しい思い出となるでしょう.


子供達の前には、両親がとても誇らし気に立っていました.

夫の手をしっかりと握った妻は、夫を見上げるように見つめ、


夫も妻を暖かい微笑みで返していました.


売り場の女性が入場券の枚数をたずねました.父親は胸をはって、答えます

「子供八枚と大人2枚下さい.これで家族にサーカスを見せてやれます.」


入場券の合計金額が告げられました.

すると、妻は夫の手を離し、黙ってうつむいてしまいました.夫の唇も震えています.


「いくらですって?」

売り場の女性は、もう一度答えました.


その父親には、それだけのお金がなかったのです.


サーカスを見るのにお金がたりないということを、

後ろの8人の子供に、どうやって告げられましょうか.


事のなりゆきを見ていた私の父は、ズボンのポケットに手を入れました.

そして20ドル札を取り出し、何気なく落としました.


父は腰をかがめ、そのお札を拾い上げ、その男の肩を軽くたたきました.

「失礼ですが、ポケットからこれが落ちましたよ.」


その男は、私の父が何をしようとしているのがすぐに察しました.

彼は人からほどこしを受けるような人ではありませんでした.


しかし、そのときは恥ずかしさと落胆から、途方にくれていたのでしょう.

その助けを心から感謝して受け取ったのです.


20ドル札を差し出す父の手を両手でかたく握りしめ、その目をじっと見つめました.

くちびるは震え、ほおには涙が伝わり落ちています.


「ありがとう、ありがとうございます.これで助かります.」


父と私は車に戻ると、そのまま家に帰りました.

その晩、私達はサーカスを見ることができませんでした.でも、それで良かったのです.



「サーカス」 こころのチキンスープより (ダン・クラーク) 



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■「バスと赤ちゃん」



東京にいた今から16年程前の12月も半ば過ぎたころの話です

私は体調を壊し、週二回、中野坂上の病院に通院していました


その日は今にも雪が降り出しそうな空で、とても寒い日でした

昼近くになって、病院の診察を終え

バス停からいつものようにバスに乗りました


バスは座る席はなく、私は前方の乗降口の反対側に立っていました

社内は暖房が効いていて、外の寒さを忘れるほどでした


まもなくバスは東京医科大学前に着き、そこでは多分

病院からの帰りでしょう、どっと多くの人が乗り

あっという間に満員になってしまいました


立ち並ぶ人の熱気と暖房とで

先ほどの心地よさは一度になくなってしまいました

バスが静かに走り出したとき、後方から赤ちゃんの

火のついたような泣き声が聞こえました


私には見えませんでしたが、ギュウギュウ詰めのバスと

人の熱気と暖房とで、小さな赤ちゃんにとっては苦しく

泣く以外方法がなかったのだと思えました


泣き叫ぶ赤ちゃんを乗せて、バスは新宿に向い走っていました

バスが次のバス停に着いた時、何人かが降り始めました


最後の人が降りる時、後方から、「待ってください 降ります」

と、若い女の人の声が聞こえました


その人は立っている人の間をかきわけるように前の方に進んできます

その時、私は、子どもの泣き声がだんだん近づいて来ることで

泣いた赤ちゃんを抱いているお母さんだな、とわかりました


そのお母さんが運転手さんの横まで行き、お金を払おうとしますと

運転手さんは「目的地はどこまでですか?」と聞いています


その女性は気の毒そうに小さな声で

「新宿駅まで行きたいのですが、子どもが泣くので、ここで降ります」

と答えました


すると運転手さんは

「ここから新宿駅まで歩いてゆくのは大変です

目的地まで乗っていってください」と、その女性に話しました


そして急にマイクのスイッチを入れたかと思うと

「皆さん!この若いお母さんは新宿まで行くのですが

赤ちゃんが泣いて、皆さんにご迷惑がかかるので、ここで降りるといっています


子どもは小さい時は泣きます 赤ちゃんは泣くのが仕事です

どうぞ皆さん、少しの時間、赤ちゃんとお母さんを一緒に乗せて行って下さい」

と、言いました


私はどうしていいかわからず、多分皆もそうだったと思います

ほんの数秒かが過ぎた時


一人の拍手につられて

バスの乗客全員の拍手が返事となったのです

若いお母さんは何度も何度も頭を下げていました


今でもこの光景を思い出しますと、目頭が熱くなり、ジーンときます

私のとても大切な、心にしみる思い出です


〜 こころにしみるいい話



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■それでも、僕は・・・


1.

人は不合理、わからず屋で、わがままだ。

それでも、愛そうじゃないか。



2.

何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。

それでも、良いことをしようじゃないか。


3.

もしあなたが成功すれば、偽者にせものの友人そして本物の敵が現れる。

それでも、成功しようじゃないか。


4.

今日、行った良いことは、明日には忘れられる。

それでも、良いことをしようじゃないか。


5.

誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。

それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。


6.

大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。

それでも大きな理念を抱こうじゃないか。


7.

人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。

それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。


8.

何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。

それでも、築こうじゃないか。


9.

助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。

それでも、助けようじゃないか。


10.

持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。

それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。


Anyway The Paradoxical Commandments Finding Personal

Meaning in a Crazy

World by KENT M. KEITHより  神田昌典翻訳

日本語版「それでもなお、人を愛しなさい」 ケント・M・キ

ース著 大内博訳 早川書房




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■It is so beautiful



美しい死で思い出すのはマザーテレサのことである


ある男性が「ひとつ腑に落ちないことがある」と質問した


「あなたのところでは、医薬品も人でも不足がちだというのに、

なぜ貴重なものを生きる見込みのある人々にではなく、

与えたところで死ぬに決まっている瀕死の人々に与えるのですか」


言外には、「無駄ではないか」という素朴な疑問があったと思う


マザーの答えは、はっきりしていた


「私たちの『死を待つ人の家』に連れてこられる人々は

路上で死にかけているホームレスの人々です 


彼らは、私たちの『家』で、

生まれてから一度も与えられたこともない薬を飲ませてもらい


受けたことのない優しく、温かい手当てを受けた後、

数時間後、人によっては数日後に死んでゆきます


その時に彼らは例外なく『ありがとう』といって死ぬのですよ」


マザーがいいたかったのは、望まれないで生まれ、人々から邪魔者扱いされ

生きていてもいなくても同じという思いで数十年生きてきた人々


自分を生んだ親を憎み、冷たい世間を恨み

助けの手をさしのべてくれなかった神仏さえも

呪って死んでもいいような人々が


「ありがとう」と、いまわの際に感謝して死んでゆく


そのために使われる薬も人手も

これ以上尊い使われ方はないのではないか、ということだった


話し終えたマザーは、感にたえたように


”It is so beautiful .” 


(それは本当に美しい光景です)と呟き、その後で静かに


「人間生きることも大切ですが、死ぬこと、

それもよく死ぬことは、とても大切なことです」

といわれたのであった


通訳をしていた私は、あの異臭の漂い、蝿の飛び交う

粗末な建物の中での”美しい死”


惨めな一生の最後に”尊厳”を身にまとって死んでゆく

人々の姿を教えられた思いであった


「目に見えないけれど 大切なもの」

渡辺和子著 PHP文庫より



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■愛の反対は憎しみではなく、無関心です


「天然痘も癌も脳卒中も、決して怖い病気ではありません。

 

 本当に怖い病気とは、あなたのような人間がこの世にいてもいなくてもいいのですよ、

と言われたときの孤独です。


この病気ほど怖いものはないのです。

この病気を治す病院も薬もないのです。


この病気は優しい心でしか癒すことができないのです」


What people need most is to feel that someone care about them.



To all who suffer and lonely, give a happy smile.


Give them not only your care , but also your heart.


To us what matters is the single person.


The more we love the person , the closer contact we must have.


If we wait till we are able to do things on a large scale , the time will be lost.



■僕の家



ある時、私は路上で一人の子どもを見つけ

私たちの子どもの家に連れてきました


身体を洗ってやり、清潔な服を着せ、必要なものを揃えてあげました

翌日、その子は逃げ出してしまいました


そして誰かに見つかりましたが、また逃げ出したのです

そこで私はシスターたちに言いました


「こんどあの子が出て行ったら、一体どこに行くのかついて行って見てください」

 

3回目に逃げ出したときついて行くと

木の下には、その子のお母さんがいました


彼女は二つの石の上に小さな土器を置いて

ごみ溜めから拾ってきた何かを料理していたのです


シスター達はその子に尋ねました

「どうして逃げ出したの?」


その子はこう言いました


「だってここが僕の家だもの 母さんがいるところだから」


母親がそこにいる、そここそが彼の家なのです


  

マザーテレサの言葉より


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私の好きな話  「販売はしていません」

ただ、ここに残しておきたかった

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